【ねこまたぎ通信】

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フセイン後『新生イラク』は

 イラク全土でまだ銃声が絶えぬ中、北アイルランドでの米英首脳会談では早くも「戦後処理」が論議された。しかし、果たして「戦後」は来るのか。ブッシュ政権を操る新保守主義ネオコンサーバティブ=ネオコン)派はイラクを拠点に新たな標的を狙う。反サダムの反政府派ですら、反米感情を隠さない。 (田原拓治)
 イラクでは、米国のジェイ・ガーナー退役少将の指揮で「フセイン後」の暫定統治機構が動きだした。その後の暫定政権指導者には現在まで反政府派「イラク国民会議(INC)」のアハメド・チャラビ代表が有力視されている。この人事は何を意味するのか−。
■暫定統治機構 指揮者はタカ派

 ガーナー氏はネオコンシンクタンク「国家安全保障ユダヤ問題研究所(JINSA)」の文書署名者の一人で、INCはことし、異例にも米国のユダヤ系最大ロビー団体「米・イスラエル公共問題委員会(AIPAC)」の大会に当初、招待が予定されていた。
 これらの事実からも「フセイン後」人事が米国政権内のイスラエル右派と親しいタカ派ネオコンが牛耳っているのは明らかだ。
 だが、この暫定政権の性格には不安が横切る。英ガーディアン紙によると、米国防政策諮問委員でネオコンシンクタンク「アメリカ新世紀プロジェクト(PNAC)」にも属すCIA(米中央情報局)のジェームズ・ウールジー元長官は今月二日、こう講演した。
 「イラク戦争は新たな中東づくりの一部にすぎない。敵は(1)イランの宗教支配者(2)イラクやシリアのファシスト(3)アルカイダなどのテロリストだ。米国と連合軍の進軍は続く」
 次の標的はイランかシリアか。いずれにせよ、新生イラクを前線基地にしたきな臭さは消えそうにない。
 そんなネオコンの野望はともあれ、イラク民衆は米国支配を受け入れるのか。米メディアは「歓迎」色を強調するが、その危うさが露呈した一幕もあった。
 今月三日のことだ。米軍はイラク人口の65%を占めるイスラム教シーア派の宗教指導者、ミルザ・アリシスターニ師が「米英軍の妨害をするな」と宗教令を出した、と発表した。
 しかし、これはでっち上げだった。イラン国営通信などによると、真相はこうだ。同師の先生だった故アブールカーゼム・ホーイ師の息子で、湾岸戦争後に英国に亡命したマジード・ホーイ氏が最近、米英軍とともにアリシスターニ師を訪ね、親米的な宗教令を出してくれるよう説得した。だが、これは失敗。ホーイ氏の試みだけが成功したかのように公にされた。もともと故ホーイ師はイランの革命指導者故ホメイニ師とは違い「政治不介入」が信条。アリシスターニ師も当初、フセイン政権から圧力を受けたのか「米英侵略者への聖戦」を呼び掛けたがその後は沈黙を保っている。
 戦後イラクを左右するシーア派内部は現在、こうした「不介入組」、サハフ情報相のようなフセイン政権派、チャラビINC代表やマジード・ホーイ氏のような親米英派など四分五裂の状態だ。イランに本拠を置く同派最大の反政府組織「アッダワ」もいまだ静観を続けている。
 ただ、ネオコンが当初予想した米英軍の侵攻に伴い民衆が反フセインで決起するシナリオは覆された。
 その心情をエジプトのある識者は「民衆がフセイン政権を嫌っているのは事実だろう。だが、フセインのような暴力息子が家庭にいるからといって突然、強盗が来て、その息子を殴ったら家族らは強盗に同調するだろうか」と解説する。
 実際、ロイター通信の従軍記者は次のようなエピソードを伝えている。
 「イラク南部サフワンで道端の十七歳の少年が通過する英軍に微笑し、手を振っていた。だが、車両が通りすぎるや表情は一変、憤りの色を帯びた。彼は『サダムが指導者だ。彼はよい男だ』と繰り返した」
 フセイン政権に積年の恨みを募らす反政府諸組織もINC以外は「米国による戦後」に拒絶を示す。
 ホームページなどによると、アンマンに拠点を置くイラク国民合意(INA)報道官は「米政府はイラクアイデンティティーを守るべきだ」と語る。イラク共産党は戦前から国連主導の問題解決を主張し、反戦を訴えていた。クルド人系ではクルド民主党(KDP)幹部が「米国プランはまったく機能しない」と述べ、クルド愛国同盟(PUK)政治局員は「われわれは一人の独裁者が別の独裁者に代わることを拒む。イラク人による新政府を望む」と言明する。シーア派イラクイスラム革命最高評議会(SCIRI)のベイルート代表は「米国に同調する者が出ていることは残念」と批判。イラク・スンニ派急進主義のイスラム党に至っては義勇兵を募り「祖国防衛」のためにイラクに送り込んでいる。
 民族、宗教が複雑に織りなすモザイク国家で、反イスラエルの強固な武装勢力が一掃された後、米国を交えた外国勢力が支配を試みる−。現在のイラクと似通った光景が二十年前、アラブの地であった。
 八二年のイスラエル侵攻後のレバノンだ。レバノンに「間借り」していたパレスチナ解放機構(PLO)は同国から隣国イスラエルを攻撃していた。イスラエルは「PLO一掃」を旗印に同国に武力侵攻した。
 攻撃されたPLOはレバノンを撤退し、この後、イスラエルと「仲介役」を任ずる米国はPLOを敵視するキリスト教右派を軸にかいらい政権を樹立した。
 しかし、多数派イスラム勢力と隣国シリアは「イスラエル・米国支配」に反発し、キリスト教右派バシール・ジュマイエル大統領は爆殺される。その兄で後継者のアミン氏はイスラエルと和平合意を結ぶが、これも後に破棄された。かいらい政権はつぶれた。虐殺を伴った侵攻と米軍駐留の仕掛け役はイスラエル右派のシャロン首相(当時、国防相)とネオコンだった。
 PLO撤退後も駐留していた米軍海兵隊本部は自爆テロ(二百四十一人死亡)を受けレバノンを去る。犯行組織はPLOに反感すら抱くシーア派だった。イスラエルでも反戦の高まりから総選挙で右派政権が崩れた。結局レバノンを拠点にした支配構想は失敗した。

■新通貨を米ドル案 反米感情を刺激

 米ワシントン・ポスト紙によると、米政権内ではイラク・ディナールに代わり、米ドルを新通貨とする案も浮上しているという。実現すれば、民衆の被植民地感情を刺激するだろう。
 英国亡命中のイラク人女性作家ハイファ・ガンザナさんは英国放送協会(BBC)にこう語っている。
 「民衆は米英軍と闘い続ける。それはサダムの軍隊に強制されてではなく、サダムが倒れた後もです。その昔、民衆は英国の支配を覆した。同様に米国の統治プランも崩れるでしょう」
 レバノンでは、かいらい政権が崩壊した後も内戦が五年続いた。イラクが同じ轍(てつ)を踏まない保証はどこにもない。