【ねこまたぎ通信】

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 カシミールのテロリストキャンプ潜入記

カシミールのテロリストキャンプ潜入記

Inside a terrorist camp
(New Internationalist No.341
December 2001 p7-8)

カシミールには、自爆攻撃を立案し実行しているラシュカレ・タイバのキャンプが12ある。そのうちの一つは、カシミールのインド占領地域で活動するファダイーン(自爆して敵を倒す戦士)を監督している。このキャンプの主な役割は、さまざまなキャンプからカシミールのインド占領地域へジハード(聖戦)に赴く者たちと、無線で連絡をとることである。

1992年、旧ソ連が支援していたアフガニスタンのナジブラ政権が崩壊し、1980年代のアフガン聖戦を戦い抜いた多数のムジャヒディン(イスラム聖戦士)たちは行き場を失った。その後、戦士たちに新しいジハードの場を提供したのがカシミールだった。そこで彼らに場所とさまざまな物資を用意して訓練も行ったのがパキスタン軍の情報機関で、アフガニスタンで1980年代に果たしたのとまったく同じ役割を進んで果たしてきた。

士気を高める訓練は、ラシュカレ・タイバのような宗教団体に任され、パキスタン中から主に貧しい農民の若者たちをジハードの名の下に集めた。彼らのような職の無い若者たちは、ここに来ることで衣食住を与えられ、さらに自分の命を捧げれば天国行きも約束されたのである。

彼らは何者でどこから来たのか? 私たちはその現実をこの目で確かめるべく、キャンプに潜り込むことにした。私たちが地元の人間で地元の言葉を話し、村にいくらか土地を持っているということで、キャンプ関係者は私たちが一晩キャンプに泊まることを快諾した。そしてそこへ行って初めて分かったことは、地元カシミールの人間はキャンプには1人しかいないという事実だった。他の参加者たちは、アフガニスタン人1人を除いてすべてパキスタンパンジャブ南部から来ている若者たちだった。

キャンプリーダーのアジズは、英語、ウルドゥー語、パシュトゥーン語、そしてカシミール語も操る30代の男だ。彼が地元カシミール人である私たちに期待していたことは、今回のキャンプ体験を通して、私たちが刺激を受けて意欲を高め、実際にこのキャンプに参加して現在のキャンプ参加者の出身地の偏りを正して欲しいということだった。私たちの村の若者でキャンプに参加しようとする者などは考えられない。私たちの村は、パキスタンとインドの軍隊の衝突によく巻き込まれ、すでにたくさんの村人たちが亡くなっている。誰も口に出しては言わないが、現在村の最大の頭痛の種とも言えるこのキャンプに賛成する者などいるものだろうか。

出されたお茶を飲み、イシャーのお祈りの後に講義が始まった。その講義は、聖なる目的のために自らの命を捧げることによって永遠の幸福が得られ、死の瞬間から待ち望んでいた次の人生が始まる、というようなことが中心になったものだった。この内容に沿って天国の地図が描かれ、すでにそこに召された死者たちの華々しい例が語られるもので、聞き手への影響は侮れない。

このようなジハードグループの戦術は劇的に変化した。小火器を手にして敵キャンプを攻撃するという方法が、自爆攻撃へと変わった。キャンプリーダーのアジズは、自爆攻撃で失うのはたくさんいる若い志願者の命だけなので、自爆攻撃のほうが安上がりだ、と言った。しかしその効果は絶大で、成功率は1980年代の戦術よりもずっと高いそうだ。1980年代にアフガニスタンでロシアと戦っていたころには、自爆攻撃など思いもつかずただゲリラ戦を行っていた。ロシアとの戦いが長引いたのもそのせいだとアジズは言う。皆が寝静まった後も、彼は私たちを前に夜遅くまで延々と話し続けた。

このキャンプでは具体的にどんな活動をしているのか、私たちは尋ねた。「ここから境界線を超えて行った者たちの活動を監督している。彼らには、ここと連絡がとれるよういくつか機械を渡しているんだ。よく見てみろ。ここは山の高い位置にあり、インド側の状況を把握するにはもってこいだ。ファダイーンで攻撃をするとき、そのおかげで彼らムジャヒディンをうまく守ることができるのだ。彼らとは常に連絡を取り合っている。彼らが今いる地域の複数の情報源から情報を集め、攻撃が成功するように正確な情報を彼らに送る。彼らは最後の死ぬ瞬間まで士気が高い。時々コーランを暗唱して無線で流すこともある。これはとても効くね。恐ろしさのあまりミッションの途中で戻ってくるムジャヒディンはとても少ないんだ」

ティハジャドの祈りのため、翌朝3時半に起きるように言われた。ティハジャドの祈りは、普通のイスラム教徒にとっては義務ではないが、極端に信仰心の厚いイスラム教徒はこれを欠かすことはない。一緒に潜入した友人は、そんな朝早く起きることはない寝ていようと言った。しかし私は、お祈りに出なければキャンプの人間たちは私たちが熱心なイスラム教徒でないと疑いを抱き、もしかすると正体がばれて危険になるかもしれないと説得し、彼に一緒にお祈りに出てくれるように頼みこんだ。こうして私たちは、初めてティハジャドの祈りを経験した。

朝は全員が整列してそろった。そして、コーランをファジャールまで読むように言われた。これは朝の1回目の正式な祈りだ。お祈りの後にアジズの講義が始まった。彼の感情が声に乗り移り、彼のジハードにかける熱意が私たちにも伝わってきた。それは私たちを奮い立たせるもので、しかも任務を遂行したときにどうやって天国で居場所を見つけるのかなどという具体的な内容も話された。

人生とは何なのだろうか? それは私に何をもたらしてくれたのか? 今まで何か楽しいことなんてあっただろうか? 生きていて何か報われたことはあっただろうか? 今の人生を捨て、より良い永遠の幸福な人生を得ようではないか……。アジズはそんなメッセージを込めながら、人生の不幸を繰り返し語る。そこにいた12人は全員が「そうだ、そうだ」とばかりにうなずいていた。そうだ、それは米国とインドの不心得者たちを一掃する唯一の方法なのだと。

アジズによれば、ムジャヒディンをインド側へ案内するガイドは物質的な利益を得るにすぎないのだそうだ。ガイドたちは主にインド系カシミール人で、1人あたり最低3千ルピア(60ドル)でインド側へ案内する。彼らは安全にインド側へ渡ることのできる場所と時間を正確に知っている。カシミールをインドとパキスタンに分ける境界線付近は、インド兵が侵入を防ごうと厳重に警備しているが、すでにたくさんの人間がパキスタンからインドへの進入に成功している。しばしばパキスタン軍の銃撃にまぎれて渡るということもある。

物質的な利益、それがムジャヒディンたちにとって何の意味も持たないことを私たちは感じた。彼らは精神的に満たされたいと心から思っており、熱狂的な使命感に燃えて自殺攻撃を行う。命を捧げると決めたその時から、彼らは天国に住み始める。たとえテロリストたちを爆撃しても、彼らの心からの要求を止めることはできないと感じた。それを止めることができるのは、政治的な考え方だけで、特に若者たちを対象にしてそれを広める必要がある。

キャンプの参加者の1人であるムバッシルに、なぜここに来ることになったのか聞いてみた。彼は20代前半。パンジャブ州のムルタン近くの町から来た。「僕はモチ(靴屋)だった。しかし、町のやつらは僕のこともその職業も嫌っていたんだ」。モチとは、パキスタンの低いカーストのことで、パンジャブの封建的な社会の中ではひどい扱いを受けている。中流階級の人間でさえ、彼らのことを屈辱的に扱うのだ。

ムバッシルは続ける。「キャンプでは近代的な通信手段を習うことができ、仲間からも尊敬される。ここでは孤独を感じたこともない。町では毎日自分を恥じていたが、ここではまったく恥などは感じない。ここに来れば尊敬され、永遠の楽しい人生を得るチャンスまで与えられるんだ」

私たちはアジズに、ムジャヒディンになりたいかどうか考えたいので村に戻ってもよいかと尋ねた。

村に帰る途中、私たちふたりとも今まで聞いてきた考え方の熱情というものの余韻に包まれていた。そう、私たちにしてこの様な状態になってしまうのである。ましてや、イスラム原理主義についての基本的な知識もない人々への影響は計り知れない。

今回の経験を通して、イスラム原理主義とは新手のファシズムのようなものだということがよく分かった。これは、その根本からつぶさなければならないものなのだ。


ムハマド・アシュラ