【ねこまたぎ通信】

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 アフガニスタン女性の今

アフガニスタン女性の今 Betrayal

(New Internationalist No.364 Jan./Feb. 2004 p17-19)
http://www.ni-japan.com/topic364.htm


タリバン支配下のアフガニスタンでは、女性の平等などというものは存在しなかった。では、現在その状況はどうなっているのだろうか? アフガニスタン女性革命協会(RAWA)のマリアム・ラウィが報告する。

2001 年10月7日に米国がアフガニスタン爆撃を始めた時、アフガニスタン女性に対する抑圧は、タリバン政権打倒の理由として挙げられていた。5週間後、米国大統領夫人ローラ・ブッシュは、意気揚々として次のように述べた、「アフガニスタンのほとんどの場所で米軍が勝利を収め、家庭内に囚われていた女性達は解放されました...テロに対する闘いは、女性の権利と尊厳への闘いでもあるのです」

しかし、2003年10月6日に発表された詳細な報告書の中で、アムネスティ・インターナショナルはむしろ異なる状況を明らかにした。「タリバン政権崩壊から2年が過ぎたが、国際社会、そしてハミド・カルザイ大統領率いる暫定政権は、女性を守れないことが露呈した」

「武装グループメンバーや元兵士によるレイプや性的暴力のリスクは相変わらず高い。特に少女に対する結婚の強制、家庭内での女性に対する暴力が、国のあちこちで広がっている」

実際には、アフガニスタンの女性の状況はいまだに恐ろしいものである。カブール他いくつかの都市では、少女や女性達が自由に学校へ行ったり仕事をしたりしているが、全国的にみれば特殊なケースである。地域の軍閥は独自のルールや政府を設け、それが人々を厳しい状況に追い込み、特に女性には熾烈なものとなっている。

西部のヘラート県のイスマイル・カーン将軍は、タリバンと同じような法令を定めている。多数の女性は依然として教育を受けることができず、外国のNGO国連の事務所でも働けず、行政の事務所にも女性はほとんどいない。

女性はタクシーに乗ることはできず、男性の近親者と一緒でなければ外を歩くこともできない。近親者でない男性と一緒のところを見つかった女性は「特別警察」に逮捕される。そして、そのカップルが最近性的関係を持っていないかどうか、女性が病院で検査されるのだ。

抑圧が続くため、多数の若い女性達が自殺を図る。ヘラート市と周辺の県では、焼身自殺が毎月いくつも報告されている。事実、女性の自殺者の割合は、タリバン時代よりもかなり多い。

アフガニスタン国内での女性の権利に関して言えば、北部同盟が支配していた時代も今とさほど変わらなかった。ある国際NGOのスタッフは、アムネスティ・インターナショナルに次のように語った。「市場に出かけた女性が、そこで少しでも肌をさらしてしまったら、タリバン時代にはムチ打ちになっていただろうが、今はレイプされてしまうのだ」

何千という外国の兵隊が駐留するカブールでさえ、女性達は身の危険を感じ、たくさんの人々が身を守るためにブルカを着ている。

少女に教育の場が与えられているくつかの地域では、女子校が焼き討ちにあった。その後親達は、教育の場があるにもかかわらず、娘を学校に行かせるのを恐れている。ヒューマン・ライツ・ウォッチによると、通学時の少女誘拐や少年少女に対する性的虐待が、今は当たり前のように起きている。(1)

カルザイ政権は、その美辞麗句とは裏腹に、熱心に女性のためにならないような政策を進めている。女性は仕事を見つけることができず、女子校では、しばしば本や椅子といった一番基本的な物も不足する。女性を守るような法律は無く、より古い法律制度では、支援の必要な女性に対して手を差し伸べることを禁じている。カブールTVへの女性歌手の出演は禁じられ、その歌声も放送されることはない。そして映画では、へジャブ(頭に被るスカーフ)を被っていない女性の出るシーンは検閲の対象となっている。

カルザイ政権は女性省を作ったが、これは女性と国際社会に対するごまかしに過ぎない。実際この省は、まったく女性の役に立っていない。女性省に対して外国のNGOから寄付されたカネは、カルザイ内閣の力ある将軍達に流れているという不満も聞かれる。

「テロとの闘い」は、タリバン政権を崩壊させたが、宗教原理主義を取り除くことはできなかった。その宗教原理主義が、アフガニスタン女性に悲劇をもたらしている一番の原因である。

事実は、再び軍閥に権力を与えることによって、米国は女嫌いの原理主義政権の首をすげ替えたに過ぎないのだ。

 

西洋の欺瞞

それどころか、米国がアフガニスタン女性を救うためにタリバンと戦ったことは無かった。一番最近では2000年に、アヘン栽培を減らしたご褒美として、ブッシュ政権はタリバンに4,300万ドルを与えた。

教義的にはタリバンと同じような北部同盟に対し、米国が惜しみない支援をしている状況で、西洋のリーダー達やメディアが、アフガニスタンの「解放」について発言しているのを聞くのは私達にとって辛いことだ。

北部同盟は、彼らが支配していた血塗られた1990年代に起きた5万人以上の殺害に責任を負っている。今日力を握っている人物、カリム・カリリ、ラバニ、サイーフ、ファヒム、ユナス・カヌーニ、モハキク、アブドゥラは、1992年に権力を握ったとたん女性に対する規制を押し付け、アフガニスタン中を恐怖によって支配した。

何千人もの女性や若い少女達が武装した悪党どもにレイプされ、多数の女性達が彼らの性的暴力を避けるために自殺した。英国の新聞『インディペンデント』は、北部同盟を「1992年から96年までの虐殺、組織的なレイプ、略奪の象徴」であると評したが、それに疑いの余地はない。(2)

だが、今日アフガニスタンで問題となっているのは、女性の権利ばかりではない。アヘン栽培、好戦的な軍閥、テロのいずれもが解決されていない。この国には、平和、安定、安全などというものは存在しない。英国の日刊紙『ガーディアン』によれば、カルザイ大統領は「自分自身の政権内で身動きがとれなくなっている...彼は名目上は政府のリーダーであるが、実権を握っているのは北部同盟司令官達なのだ」(3)

この状況を考えてみれば、2004年6月に行われる選挙がどうなるか想像するのはたやすい。北部同盟がその残酷な支配を正当化するため、再び選挙結果は乗っ取られることになるだろう。

2001 年11月、コーリン・パウエルは「アフガニスタンの女性の権利は、何があっても獲得されねばならないだろう」と語った。しかし、アフガニスタンの女性達は、米国や英国の政治家達のそんな言葉の欺瞞を肌身を持って感じている。最高に危険な軍閥達をアフガニスタン人の上に据えたことから、女性のことなど少しも考えていないことは明らかだ。

1990 年代、アフガニスタン女性の人権が踏みにじられた悲劇的な出来事に対して、世界が沈黙を守っていたことを私達は忘れることができない。1992年から 2001年までの間、女性達はジハーディからタリバンまで、あらゆる原理主義者達から家畜のように扱われてきた。だが、西洋の政府やメディアは、こんな窮状に目もくれなかった。その好例は、1999年に処刑されたRAWAのリーダー、ザルミーナの処刑場面映像に関するエピソードだ。それは、2001年9月 11日より前に、BBC、CNN、ABC他のメディアにRAWAが提供したが、「この場面は強烈過ぎて西洋の視聴者は耐えられないだろうから放送することはできない」と言われた。しかし9月11日の後、これら同じメディアは、その処刑場面を繰り返し放送したのだ。また同様に、タリバンの女性迫害を克明に記録したRAWAの写真が(RAWAの許可無く)チラシに載り、米軍機によってアフガニスタン中にまかれた。

西洋のライターの中には、女性への抑圧はアフガニスタンの伝統に起因するものであり、それを批判するのは「文化の違い」に敬意を払わないということになってしまう、とほのめかす者もいた。彼らは、他の多くの文化でも同じように、女性の抑圧は最も蔑むべき部分であり、何の価値も無く、葬り去られなければならないものだ、ということを理解していないようだ。

 

力強く続く抵抗

アフガニスタンの女性達は、声を上げない被害者の地位に甘んじている訳ではない。闘っているのだ。昨年、伝統的な会議ロヤ・ジルガで、原理主義者に対する強い反対の声が女性達から上がった。そしてまた、自由、民主主義、政教分離、女性の権利に対するRAWAのたゆまぬ努力は、女性解放への取り組みがアフガニスタンに定着したことを示すものだ。

しかし、恐怖と戦慄の環境は、女性達の抵抗や国全体へもその影を落とす。いかなる反対の声も封じ込めようとして、銃と脅迫が使われる。その結果、真剣に反原理主義者を掲げるグループは、半ば地下活動を強いられる。RAWAは、依然としてカブールに事務所を構えることができないばかりか、アフガニスタン国内で行っている多くのプロジェクトにRAWAの名前を出すこともできない。

いまだにRAWAの雑誌『Payam-e-Zan』(女性のメッセージ)を公に配布することもできない。数ヶ月前、北部同盟関係の兵士が、RAWAの出版物を置くカブールの書店を襲撃した。彼らはRAWAの出版物を没収し、もしも今後RAWAの出版物を見つけたら、その時は死によって償ってもらう、と店員を脅した。

似たようなケースはまだあり、カブールの市場で配るRAWAの声明文をコピー中に捕まったRAWAの支援者は、北部同盟の兵士に拷問され投獄された。RAWAの本を読んでいるところを捕まった人々は、依然として危険な状況に置かれている。現在RAWAは、様々な方法で本を配布しているが、支援者には十分気を付けるよう注意を促している。

軍閥を批判したかどで捕まれば、そこには厳罰が待ち受けている。数ヶ月前、ヒューマン・ライツ・ウォッチがヘラートの人権状況について報告書を出した時、イスマイル・カーンは、カーンにインタビューした人物をすべて探し出して処罰しろ、と彼の治安部隊に命じた。

北部同盟の支配力がより強まれば、すぐにアフガニスタン女性の権利と自由へのキャンペーンはより大きな障害にぶつかることになるだろう。明白なのは、原理主義が政治力や軍事力を牛耳っていることが最大の問題である、ということだ。どこにいようと原理主義者達は、女性自身に対して、また女性達が取り組む男女同権の動きに対しても敵対心を燃やしてくるだろう。女性の権利を保障してくれる社会とは、民主主義と政教分離を根底に持つ社会だけなのだ。さらにアフガニスタンでは、宗教と古来からの伝統を、女性弾圧のために乱用する人間が依然として多い。

RAWA の女性達は、教育こそが力となり、それは無知と原理主義に対抗するための最も賢明な武器で、その力無しでは女性の権利のために闘うことができないと固く信じている。この理由から、法律や社会分野の女性の組織化、そして彼女達に対して教育や識字を増やす取り組みにRAWAは力を注いでいる。教育という武器を手にした女性達の前では、この国のいかなる政府であろうと、その存在を無視し続けることはできなくなるのだ。

マリアム・ラウィ
仮名でレポートする、アフガニスタン女性革命協会のメンバー。RAWAについて詳しくは、www.rawa.org。

1 Human Rights Watch, Killing You is a Very Easy Thing For Us, HRW Report, July 2003.
2 The Independent, London, 14 November 2001.
3 The Guardian, London, 31 July 2003.