【ねこまたぎ通信】

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 <縦並び社会・格差の源流に迫る>1

<縦並び社会・格差の源流に迫る>ブレーキなき規制緩和

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060402-00000025-mai-soci


<縦並び社会・格差の源流に迫る>ブレーキなき規制緩和
 JR仙台駅前は100台近くのタクシーであふれる。利用者の少ない平日の昼間でも、待機スペースに入り切れない車の列が交差点を越えて300メートル先まで続く。02年にタクシーの参入規制が撤廃され、仙台市だけで800台以上増えた。
 運転手歴9年の青野邦彦さん(53)の手取りは月12万円ほどだ。長男聖史(きよふみ)君(11)に知的障害があるため、妻(49)もフルタイムでは働けない。「できれば子どもに言語療法やカウンセリングを受けさせたいが、費用が払えない」
 タクシーの規制緩和を初めて明確に打ち出したのは96年、政府の行政改革委員会規制緩和小委員会(座長、宮内義彦・現オリックス会長)だ。「(増車を規制する)需給調整は事業の活性化を妨げるだけでなく、労働条件が改善されるか疑問」と報告をまとめた。
 しかし、現実は逆の道をたどる。全国で増車が進む一方、需要は伸びない。04年のタクシー運転手の平均年収は大都市部で308万円。5年前より40万円下がった。生活保護水準以下の運転手も多い。仙台の業界団体は04年秋、増車の規制を求めて内閣府に「需給調整特区」を申請したが「規制緩和の趣旨を損なう」と認められなかった。
 3月3日、運転手で作る労働団体のメンバーが、内閣府規制改革・民間開放推進会議の事務局を訪れ、規制緩和の見直しを求めた。議長は同じ宮内氏だ。
 「直接話をしたい」。だが、面会はかなわなかった。
   ■   ■
 03年12月16日、前身の総合規制改革会議。「官」から「民」への一環として取り上げられた労災保険の民間への開放をめぐり、委員の清家篤・慶応大教授が反対を唱えた。「セーフティーネットを弱体化させかねない」
 民間に委ねて労働者への補償が不十分になった海外のケースを列挙し、会議の答申案から削除するよう求めた。
 多数を占める賛成派の委員が反論した。「当会議はメンバーが一致団結していく伝統がある」
 小泉純一郎首相に提出された第3次答申には「労災保険の民間開放」が盛り込まれた。清家委員は次期会議に切り替わる際、委員に選ばれていない。国鉄電電公社の民営化にも関わった議長代理の鈴木良男・旭リサーチセンター会長は言う。「われわれの思った通りじゃない人の席は消えていく」
 翌04年秋、今の会議の教育・研究作業部会の委員に内定していた飲食店チェーン「ワタミ」の渡辺美樹社長が突然、「解任」された。学校経営の規制緩和による株式会社の参入について「株式会社は利益の株主還元を優先するため不適当」と持論を変えなかったためだった。
 異論を排し、規制緩和へ突き進む「宮内会議」。それは首相の後ろ盾なくしては成り立たない。
 04年初め、宮内氏の「長期政権」を懸念した閣僚が宮内氏に切り出した。「そろそろ勇退されたらどうですか。党内からも声が出ています」「この場ではお答えできません。最後は総理のご判断です」。議長の座に踏みとどまった。
 宮内路線に抗う声はやがて弱まっていく。今年初め、宮内氏はある財界人と懇談した席でこう語っている。「歴代の行政改革担当大臣は(規制緩和に)だんだん熱心になっていますよ」
   ×   ×
 格差はなぜ広がりつつあるのか。第3部はその源流に迫る。
 規制改革・民間開放推進会議議長、宮内義彦オリックス会長が規制緩和に執念を燃やす原点はどこにあるのか。
 大阪・堂島。東京五輪の開催に沸く1964年、雑居ビルの一室にリース会社「オリエント・リース」(現オリックス)が設立された。社員はわずか13人。大手商社から出向した当時28歳の宮内氏もその一人だった。
 34歳で役員、45歳で社長に就任する。ノンバンク初の無担保社債発行を目指したが、旧大蔵省に「出資法に触れるおそれがある」と反対された。買収した茜証券を「オリックス証券」へ社名変更するのも、同省が認めるまで9年かかった。
 92年、「リース債権」を使った金融商品を日本で初めて作る。銀行に頼らず低コストで資金調達できる。だが、同省は「金融秩序の維持」を理由に販売を認めてくれない。役所を敵に回しても売り出すべきか。宮内氏はゴーサインを出した。「オリックス100年の計だ。やるしかない」
 会社は急成長を遂げ、宮内氏は96年、橋本内閣の規制緩和小委員会の座長に就任する。社員は今、約1万4300人、関係会社は263社に上る。社史は、官による規制と闘い「勝ち組」になった歴史でもある。
 同社が規制改革・民間開放推進会議に提出した規制緩和の要望は現在までに197件に上り、民間企業では最も多い。うち「金融機関以外による信託会社の解禁」など17件が採用されている。
 規制緩和の「光」と「影」。しかし、影を監視する役割は軽視された。
 タクシーの参入規制が撤廃されたのと同じ02年、委員の清家篤・慶応大教授の提案で、緩和後に生じた問題への対策を検討するワーキンググループができた。テーマは経済団体などからの要望を基に事務局が決める。だが、ほとんど出てこなかったため、早くも翌年には消えた。
 清家教授は「もっと積極的に議論すべきだった」と悔やむ。「例えばトラック業界なら緩和後に事故が増えないように労働安全基準を強化するのがフェアなやり方だった」。会議の事務局は「規制緩和のマイナス面を洗い出すことはしていないし、どこにもチェックを頼んでいない」と明かす。
 セーフティーネットは、いつからほころび始めたのか。
 93年末、細川護煕首相の私的諮問機関「経済改革研究会」(座長、平岩外四・旧経団連会長)が報告書「規制緩和について」(通称・平岩レポート)をまとめた。バブル崩壊後、財政負担の少ない景気回復策が求められていた。今の規制緩和の出発点と言える。
 当時の官房副長官で、レポートを取りまとめた石原信雄氏によると、安全や健康、環境を守るための規制も「必要最小限とする」という表現を入れるかどうか、激論が交わされた。結局、緩和推進派の中谷巌一橋大教授、大田弘子大阪大客員助教授(いずれも当時)らが慎重派の省庁OBを押し切り、盛り込まれた。
 石原氏は「規制緩和が行き過ぎれば(格差拡大などの)弊害が起こるという議論はなかった」と振り返る。今の流れは予想していなかった。「規制緩和自体は悪いことではないが、敗者は切り捨て御免になっている。19世紀の自由主義と同じだ」
 仙台のタクシー運転手、青野邦彦さん(53)は午前3時半までハンドルを握った。計17時間で客は16人。売り上げは2万2000円だった。
 帰宅後、長男聖史君(11)の顔にほおを寄せた。「お父さんはまだまだがんばるよ」
 =つづく
 ◇宮内議長インタビュー◇
 96年に規制緩和小委員会の座長に就任して以来、10年間にわたり規制改革を提言する機関のトップを務めるオリックス宮内義彦会長(70)に、最近の格差論議をどう見ているか聞いた。
 ――規制緩和の進展が格差拡大を助長しているという議論がある。
 「格差とは所得再配分の問題だ。税制や社会保障を通した格差是正のために政治は存在する。生産(経済)の方の問題ではない」
 ――失業すると正社員になれず、派遣社員になるしかない現状がある。
 「規制緩和の前後でどっちが失業率が高いと思うか。パートタイマーと無職のどちらがいいか、ということ」
 ――規制緩和の進んだタクシー業界は、労働条件の切り下げ競争になっている。
 「安全基準、労働条件をきちっと守る前提でなければ競争してもらっては困る。確かに運転手の収入が減ったというクレームはある。同時に利用者にとっては台数が増えて便利になり、新しい雇用も生んでいる」
 ――著書で日米の間に社会の望ましい地点があると言っている。
 「生産は市場経済のメカニズムを使う米国型でやるが、分配をどうするかは日本人のコンセンサスを得ることが必要だ。ただ公共投資ばかりやっていては日本は沈む。やはり(米国に近づくために)太平洋に船出しなければならない」
 ――日本型の分配システムの問題は。
 「格差をなくしたために社会に活力がなくなった。私は長い間社長をやったが、びっくりするような給料を取ったことはない」
 ――事後チェックルールは整っているか。
 「そこは各官庁の腕の見せ所。人手とお金がかかるものだという認識が必要だ。現在は移行期で嵐の中にいる。この程度で我慢できずに放り投げるようでは、日本経済はうまくいかないだろう」
毎日新聞) - 4月2日19時49分更新