【ねこまたぎ通信】

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 「日本の新たな軍事的野心」---[ル・モンド・ディプロマティーク日本語から]

「日本の新たな軍事的野心」---[ル・モンド・ディプロマティーク日本語から]

エミリー・ギヨネ特派員(Emilie Guyonnet)
ジャーナリスト、
「ロベール・ギラン日本報道賞」受賞
訳・阿部幸
ディプロ2006-4 - Les ambitions militaires du Japon passent par les Etats-Unis

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 アジアの地政学的な中心に位置することから「太平洋の要石」と呼ばれる沖縄は、第二次世界大戦以来、日米の戦略的決定に翻弄されてきた。太平洋戦争で、その最も悲惨な戦闘の舞台の一つとなった後(1)、米国の軍事的な植民地となり、日本の他の地域より20年も長く1972年まで米国の占領下にあった沖縄は、現在も37の米軍施設を負わされている。人口135万人の土地に将兵2万6000人がその家族とともに駐留する(2)。

 この縦100キロメートル、横15キロメートルほどの狭く、しかも人口密度の高い地域への基地の集中は、日常的に無数の問題を引き起こしている。規制値をはるかに上回る騒音や、犯罪、演習時の事故、実弾を使った訓練などに伴う危険といった問題だ。

 「基地はほんとうにいやです」と、嘉手納基地の近くに暮らす屋良朝博氏は言う。
この基地は極東にある米軍空軍施設の中で最大規模であり、最も頻繁に活用されている。
「夜中の2時3時から、飛行機の騒音で目が覚めることがあります。複数ジェット機が頭上を飛び交うのが見え、何かの金属や物体が庭に落ちてくることもあります」。基地問題は、3人の海兵隊員による少女暴行事件があった1995年に、ふたたび全国的な問題となった。
「あの事件は世論にとってまさに衝撃でした。1972年の返還後、沖縄の状況がメディアに取り上げられることはなくなっていましたから」。
沖縄タイムス編集委員である屋良氏はそう回顧する。

にもかかわらず、問題は変わらず続いている。

それを象徴するのが、人口8万人が住む市街地の中心に4800ヘクタールの面積を占める普天間の空軍基地だ。2004年8月13日に起こった米軍ヘリ墜落事故によって破壊された大学の建物の跡は、今でも間近に見ることができる。

 楽園のような浜辺が続き、ホテル群が立ち並んでいても、沖縄の空気は重い。
冷戦が終わって久しいというのに、いまだに現状が維持されていることに地元住民はうんざりしているのだ。
東京から1500キロ、太平洋と東シナ海にはさまれた日本最南の沖縄県は、別の時代に取り残されてしまったような奇妙な印象を与える。

 屋良氏は言う。
「状況は変わろうとしています。日本は国民も指導者も、国防に関わる問題について考えてきませんでした。というのも、冷戦の間は、米国の核の傘に守られていたからです。
しかし、常に米国を当てにできるとは限りません。今日ではこの議論を避けることは不可能です」。これこそまさに日米の新たな戦略協議の主題である。その骨子は中間報告に示されており(3)、原則的に3月31日までに最終合意文書に調印することが予定されていた(4)。中間報告には米軍部隊の再配置、すなわち、海兵隊7000人の沖縄から米領マリアナ諸島グアム島への移転が盛り込まれてい
る。グアムは沖縄より広く、人口が少ないだけでない。米国防総省によれば、東南アジアの急進イスラム主義グループの活動に対処するのにより適した位置にある。

 この決定(実施日程はまだ詰められていない)は、在日米軍の総規模や、韓国における計画と比較すれば、見た目ほどめざましいものではない。
89の米軍施設を擁する日本は、グアム移転後もなお4万人の米軍兵を抱えることになる。
この移転費用のうちほぼ90億ドルは、日刊全国紙ジャパンタイムズが伝えるところによれば、日本政府が負担する(5)。
日本はアジアにおける米国の最も親密な同盟国として、また軍事戦略の支柱としての役割を果たしつづけることになる。

 一方、この地域におけるもう一つの米軍の拠点たる韓国では、2008年までに駐留米軍3万7500人のうち1万2500人の削減が予定されている(6)。
国民の反対が大きく、また北朝鮮との和解を模索しているため、米国との同盟関係に距離をおき、より多角的な外交を重視する方向に向かっている。
ただし、1954年の条約が問題視されているわけではない(7)。

 日韓の違いは財政面にも表れている。
日本が在外米軍の「最も気前のいい受け入れ先」であり、年間40億ドル以上、駐留経費の75%を負担しているのに対し、韓国の負担率は40%、拠出総額は8億4000万ドルあまりにすぎない(8)。


グローバルな同盟への歴史的転換

 日米の新たな二国間合意は、冷戦後のアジアにおける米軍再編というだけにとどまらない。
そこには日本の外交・国防政策の変化があますところなく表れている。
すなわち、米国との政治的、軍事的な同盟関係のかつてないほどの強化である。
2005年10月29日の中間報告発表の場でライス米国務長官が述べたように、「日本の防衛を唯一
の目的とし、地域の安定を潜在的な目的とする協力関係」から「グローバルな同盟」への転換が、この合意によって実現されることになる(9)。

 「歴史的」と評されるこの合意は、1945年9月2日の降伏文書調印に始まる日米関係の第三期を画するものである。
1951年9月、サンフランシスコ講和条約と同時に調印された日米安全保障条約では、日本に米国の基地と軍を維持することが定められた。
この頃、武装解除されていた広大な日本の目と鼻の先で、朝鮮戦争が勃発していた。
1960年1月、この条約は、その前提となっていた力関係の変化を受け、日米相互協力および安全保障条約に改定された。期限は10年で、その後はどちらかの通告後1年で終了する。新条約では、相互性の概念が導入されるとともに、基地の使用や核兵器の日本への持ち込みに際して日本政府と事前協議をすることが米国に義務付けられた。
それから46年後の新たな同盟合意により、両国の戦略的パートナーシップはあらゆる状況に対処できるものへと拡大される。

 こうした展開は、湾岸戦争で日本の「小切手外交」が「国際社会」の批判を浴びた1991年以降の流れの中に位置付けられる。2001年9月11日以降、米国政府が「対テロ戦争」に乗り出し、日本政府が同盟に基づく協力姿勢を打ち出していることで、この動きはさらに加速した。しかも2001年4月には、ブッシュ大統領寄りの小泉純一郎が日本政府のトップに就任している。

 新同盟の布石となったのは、2001年以後の情勢を受けて可決された特別措置法である。これにより自衛隊は、1992年のカンボジアに始まる従来の海外派遣とは異なり、国連の枠外でグローバルな任務に当たることを認められるようになった(10)。

日本の外交と国防の専門家レジーヌ・セラ氏の見解によれば、これらの任務は法的にも形式的にも1960年の日米条約の対象には含まれない(11)。

2001年10月には「テロ対策特措法」成立によって、アフガニスタンタリバン政権と交戦する多国籍軍の後方支援のために自衛隊がインド洋に派遣され、2003年には「イラク復興支援特措法」によって、イラク南部サマワに出動した。

 日米のパートナーシップの拡大は、2005年10月29日にワシントンで開かれた中間報告の記者会見でラムズフェルド米国防長官が言った「テロとの戦い」にとどまるものではない。
大きな動機となっているのは中国が大国として台頭しつつあることだ。

2005年6月28日のインドとの防衛協定の調印から1年足らずのうちに進められた日本との新たな同盟協議は、米国政府にとって中国「封じ込め」戦略の一環として位置付けられている。

米国政府から軍事支出が不透明だと指弾される中国は、日本政府の新防衛大綱でも北朝鮮とともに安全保障上の懸念材料として名指しされている。

 アジアの二大国間の勢力争いの背景には、尖閣諸島(中国名は釣魚島)をはじめとする領土問題と、日中双方の国民のナショナリズムをかき立てる歴史問題がある(12)。
グローバルな同盟をめざした中間報告でも、新たな脅威を例示した個所に「島嶼部への侵略」を挙げている。

 中国に対する日本の戦略上の懸念を強めているのが、「朝鮮半島が統一されるかもしれない」という見通しである。

そうなれば核保有の可能性のあるミドルパワーが誕生し、平壌のみならずソウルにおいても外交の重心が中国にシフトして、現在進行中の社会的、政治的な変化がいっそう進むことになるだろうからだ。

 米国の国家情報会議がCIAに提出した2020年報告の中で「アジアにおいて大規模な国家間紛争が起こる可能性は依然として他の地域より高い」とされている状況下で(13)、日本政府は、この地域においても国際舞台においても「外交・軍事の両面で第一級国」たらんと決意しているように見える。

 第二次世界大戦後かつてなかった姿勢である。
 日本は非常に高度な軍備を保有し、年間400億ドルという巨額の防衛予算(米国、英国、フランスに次いで世界第四位)を持っている。しかしながら平和憲法を備えていること、国連安保理常任理事国入りが行き詰まっていることにより、海外への出動を制限されている。
 欠落分野のない外交を展開し、「普通」の軍事大国としての地位を回復するには、米国との防衛協力を強化することが最も有効な方法と見るのはそのためだ。


「統合運用体制」への変革

 この政策の主な手段の一つが、2005年10月29日の中間報告が掲げているような、両国の部隊の「相互運用性の向上」である。この方針は米軍再編の柱の一つであり、具体的には、情報の共有および共同の演習や作戦を円滑に行うために日米の意思決定中枢が抜本的に再編される。沖縄に関しては、米国側は一部の施設の共同使用を認めるつもりがあると強調する。

「日米両政府が明言しているのとは裏腹に、グアム移転によって沖縄の基地の負担が軽減されるとは限りません。自衛隊が米軍に代わることになる可能性が高いからです」と琉球大学教育学部で教鞭を執る山口剛史氏は嘆く。

 この他に、東京の北西部にある横田飛行場には、日本の航空総隊司令部を移転して米空軍司令部との連携をはかるとともに、共同統合運用調整所を設置することが予定されている。
 同じく東京近郊にあるキャンプ座間では、現在の米陸軍司令部が改編され、統合任務が可能な作戦司令部組織が設置される。

 このような相互運用性の必然の帰結として、「自衛隊を統合運用体制に変革する」ことが予定されている。
 
この新たな機構の役割・任務は、中間報告では明確に定められていないものの、現在の自衛隊のように狭義の国土防衛のための出動のみに限定されるわけではない。

 この点、合意は実に巧妙に書かれている。
 あいまいで、制約が設けられていないため、両国政府が自由に運用できるようになっているのである。
 自衛隊の「このような変革は憲法違反です」と山口氏は憤慨する。

 マッカーサー将軍の指揮のもと米占領軍によって原案が作られた1947年の憲法は、第9条において、日本国民が、戦争と、国際紛争を解決する手段としての武力の行使を放棄し、戦力は保持しないと規定している。
 この憲法はすぐに暗黙の変更を加えられることになった。
 冷戦という状況下で、マッカーサーは1950年、日本に対し7万5000人からなる警察予備隊の設置を求め、これが母体となって4年後に自衛隊が生まれており、現在では約24万の隊員を数えるに至っているからだ。自衛隊の合憲性をめぐっては大きな議論があり、たとえば社会党は1994年になるまで公式には合憲と認めていなかった。

 米国との同盟の枠組みに沿った自衛隊の地位の変更は、憲法改正議論の渦中で提案された。
 小泉首相率いる自民党は、2005年11月22日、自衛隊を「軍隊」にする内容を含んだ新憲法草案を発表した。しかしながら、今のところ改正が具体的日程にのぼっているわけではない。改正には両院それぞれ3分の2以上の賛成と、国民投票による過半数の賛成が必要とされる。

 政界では1945年の降伏以来の謙虚な姿勢が薄れ、ナショナリズムへの回帰が見られるとはいえ、国民は今なお憲法の平和主義にこだわりを持っている。

 駒澤大学法学部教授の西修氏は言う。
 「世論の大半が憲法改正に前向きだからといって、9条の改正が賛同を得るとは限りません」。しかし、「国民の意識は変わりつつあります」と国立公文書館アジア歴史資料センター研究員、牟田昌平氏は言う。「景気が後退した時期に、保守派の考えが世論のうちに浸透し、右傾化が進みました。小泉首相はこれまでの首相より保守的な路線をとっており、ことに歴史問題に関してはそれが際立っています。もう一つ兆候があります。特にここ数年、一部のメディアが非常に右寄りになってきているのです。左の意見が聞かれることはますます少なくなってきました」

 1960年の安保条約改定時には、国民の反対運動が巻き起こって国政が2カ月にわたって麻痺し、アイゼンハワー大統領の訪日取りやめという事態となった。
 反対派による最大の非難は、1951年の条約が勝者によって占領末期に押し付けられたものだった
のに対して、1960年の条約は判断と行動の自由のある政府が行った交渉の結果である点に向けられた(14)。
 衆議院での抜き打ち採決だったとはいえ、1960年の条約は民主主義の枠内で成立したと言えるものだった。今回の改定をめぐっては、とりわけ米軍施設のある県の政治家と住民の間に、強い反対が起こっている。たとえば広島の南西方向にあり、米軍再編計画による部隊の増強が予定されている岩国市は、2006年3月12日に住民投票を実施した。
 この住民投票には象徴的な意味しかないとはいえ、反対票が89%と圧倒的多数を占めた。
 しかし、地元の抗議は何らの重みとなることもなく、再編計画は住民にも議会にも諮られないまま両国政府の上層部のみによって決定されつつある。


平和主義体制の終焉か

 相互運用性の向上は、日本の部隊がとりわけ技術面で米軍と同じ水準を維持するために、変革を必要とするということも意味している。将来の合意文書に「双方がそれぞれの防衛力を向上」させ、「技術革新の成果を最大限に活用」するという二重の動きが規定されているのも、これによる。

 日本はアジア太平洋地域における米国の他の同盟諸国と同様、自国の能力と米国の能力との格差拡大を恐れている。
 しかも、米国防総省付設のアジア太平洋安全保障研究センター(APCSS)が主催した会議の議事録でも指摘されているように、日本では予算や制度、官僚機構が壁となって、米国が進めているほどの軍事再編は歯止めをかけられ、妨げられている(15)。

 両国間の協力分野の中でも、特に1998年に北朝鮮の弾道ミサイルが日本領空を通過した事件以後、中心課題となったのが弾道ミサイル防衛(BMD)である。
 10月29日の中間報告にも、BMDに関する「それぞれの能力の向上を連携させる」と記されている。
  1967年以降、日本が政府の方針によって武器と軍事技術の輸出を禁止してきた現状からして(16)、米国の軍事技術の移転は産業界にとって重要な意義を持つ。

 とはいえ、この方針は2004年12月に小泉内閣によって部分的に解除された。視野にあるのはミサイル防衛における米国との協力である。
 「三菱重工川崎重工という日本の2大軍需企業にしてみれば、解除を正当化する理由として、技術的課題があることを主張できるだろう」とレジーヌ・セラ氏は指摘する(17)。
 防衛庁は2010年末までにパトリオット・ミサイル124発を調達する意向を表明している。当初は米国から輸入し、続いて三菱重工に製造させるという計画である(18)。


 日本が20世紀に行った植民地化を今なお記憶にとどめている近隣アジア諸国は、平和主義に貫かれた戦後体制の見直しに向かおうとする日本の変化を快く見てはいない。

 アジア太平洋地域では、ナショナリズムが高まり、戦略上の問題も抱えているうえに、米国が数多くの安全保障条約や相互協力条約を交わしてきた結果、軍拡競争が止まらずにいる。

 この地域は今や中東に次ぐ世界第二の武器市場となっており、1990年から2002年の間の購入額は1500億ドルを超えた(19)。

 日本にとっても、豪州、韓国、台湾をはじめとする他の対米同盟国・協力国にとっても、米軍との連携上の運用能力を維持することが目標となっている。

 アフガニスタンイラクに見られるように、米国との共同作戦を実施する可能性が増大しているからだ。多くの国が米国の新型装備を調達しており、たとえば豪州、日本、韓国は艦隊戦闘システム「イージス」を導入した。

 しかし、米国が「軍事革命RMA)」に乗り出して以降、アジアに向けて行ってきた先端軍事技術の輸出が度を越していることは、地域内でも批判する国が出てきている。
 APCSS主催の別の会議の議事録によれば、これらは「テクノロジーそのものの偏愛」に傾いた「思い付き、技術革新、テクノロジーの世界」に属するものであって、「低強度の脅威、特にテロへの対処や暴動鎮圧作戦には不向き」である(20)。

 この会議の参加者たちは、米軍再編がアジア太平洋地域に及ぼす波及効果を懸念した。「米国の軍事的優位の確定と強化を目的としている」限り、米軍再編は「新たな脅威を創出する」ことになりかねない。

 防衛力を進化させることのできない国々は、「低強度の攻撃(暴動やゲリラなどの戦術)のように非対称的な手段に出るか、大量破壊兵器(核・生物・化学弾頭を搭載したミサイル)の能力を増強する」可能性があるのだ。米国政府がアジア太平洋地域で展開する安全保障政策のパラドックスはまさしくここにある。

(1) 1945年4月から6月に繰り広げられた沖縄戦は、23万人以上の死者を出した。そのうち9万4000人が民間人である。
(2) 2004年に公表された県庁報告書「US military issues in Okinawa」によると、県内の米国籍者の総数は5万826人にのぼる。
(3) 2005年10月29日にワシントンで日米防衛・外務担当閣僚が行った会議を受けて発
表された中間報告書「日米同盟:未来のための変革と再編」参照http://www.jda.go.jp/j/news/youjin/2005/10/1029_2plus2/29_e.htm
(4) 2006年3月末の時点で最終合意は4月以降に持ち越しとなり、4月23日、日本がグアム移転費のうち60億9000万ドルを負担することで合意、協議は大筋で決着した。

[訳註]
(5) << US eyes $9 billion to move marines >>, The Japan Times, Tokyo, 25 November 2005.
(6) この決定は2004年10月6日、ラムズフェルド米国防長官によって発表されたhttp://www.defenselink.mil/releases/2004/nr20041006-1356.html
(7) 1954年に調印された韓米相互防衛条約が米軍の韓国駐留の根拠となっており、米軍は韓国が国外から攻撃を受けた場合に援助する義務を負う。
(8) 入手可能な最新情報は、同盟諸国の貢献に関する米国防総省の2004年報告であり、それによると、2002年の日本の負担額は44億1000万ドル、韓国の負担額は8億4280万ドルである。
(9) 前掲「日米同盟」。
(10) それまでは自衛隊の行動は国土の防衛に限定されていた。
(11) レジーヌ・セラ『日本の戦略の変遷:EUにとっての課題』(EU安全保障研究所、ブリュッセル、2005年6月)。
(12) マルティーヌ・ビュラール「中国が展開する非対称外交」(ル・モンド・ディプロマティーク2005年8月号)参照。http://www.diplo.jp/articles05/0508.html
(13) Mapping the Global Future, Report of the National Intelligence Council's 2020 Project, National Intelligence Council, December 2004.
(14) E・O・ライシャワーライシャワーの日本史』(國広正雄訳、講談社学術文庫、2001年)。
(15) Asia-Pacific Center for Security Studies (APCSS), << Defense Transformation in the Asia-Pacific Region : Meeting the Challenge >>, Hawai,
30 March - 1 April 2004,
http://www.apcss.org/core/Conference/CR_ES/DefenseTrans.doc
(16) 「三原則」と呼ばれる方針。共産圏の国、国連により武器輸出が禁じられている国、国際紛争の当事国またはそのおそれのある国に対する武器の売却と軍事技術の移転を禁止している。1976年には禁止の範囲がすべての国に拡大された。
(17) レジーヌ・セラ、前掲書。
(18) << Japan to build own Patriot missiles for defense shield >>, The Japan Times, Tokyo, 13 November 2005.
(19) Richard A. Bitzinger, << The Asia-Pacific Arms Market : Emerging
Capabilities, Emerging Concerns >>, APCSS, Hawai, March 2004.
(20) APCSS, << US Defense Transformation : Implications for Security in the
Asia-Pacific Region >>, Hawai, 1-3 December 2004.